プラネタリウムの終着地

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レコード売ってきた話。

 

 

 

今日、手持ちのレコードやらCDやらを、全て売りました。結構な量だったので何回かに分けて運んで。

 

 

理由は簡単、お金がないからです。

 

 

経済的に自立できていない人間が生活を送るのは言わずもがな大変で、生活の水準は頑張って下げているけど限度があって、かなり厳しいです。生活水準って上げるのは簡単だけど下げるのって大変なのよね。

 

 

 

一度に量を持って行ったのも悪かったけど、結構査定は舐められたかなぁ。『ランプ幻想』とか15,000円とかだったし。

 

というか、なんだろう、自分がすごく大事にしてたものが何円ですって値段をつけられるのがやっぱりきつかった。

初めて買って、プレーヤーの不調でピッチの下がった音でも気に入って延々と聴いていたライトニン•ホプキンスのレコードが、ハイ、300円でーす、とか。何にもわかってないなぁ。みたいな。

 

 

いや、全然しょうがないんですけど。お店の人知ったこっちゃないしね。持って行く時も引き裂かれる思いだったけど、自分の思い出の詰まった宝物がこういうふうに値段という基準で、次々と判別されていくのは、結構寂しかったです。

 

 

 

 

で、だいぶ枚数もあったし、それなりの金額にはなりました。ちょっと先までは生活できそう。

 

 

 

でも、お金を受け取って、外を歩いていると、そこまで落ち込んでないな、と気づいたんです。

 

 

 

 

なんでだろう、と考えました。

 

 

 

 

コレクションすることは楽しい。僕はどちらかというと、モノに執着している人間だと思ってました。というか実際そうだったかもしれないですが。

 

 

なんというか、一気に手放しても、一番大事なのが残っていたから安心した…ということです。

 

もしかしたら僕は、僕と音楽が繋がったということと、それに付随する記憶だけで、十分だったのかもしれません。それを介するものがレコードやCDで。

 

 

 

僕と音楽を介するモノが手元になくても。お店で3時間もにらめっこして買ったこと。すごく古いレコードを取り出した時の匂い。新品のシュリンクを剥がす時のワクワク。色々な人と生まれた会話。針を落として、音が鳴って、感動したり、笑えたりしたこと。

そういうのが僕の中に残っているから、あぁ多分大丈夫だな、と思えたんです。きっと。

 

 

 

そんなことを考えながら、歩きました。

心に大きく空いた穴に、今日の涼しい風が通って、気持ちよかった。

 

 

 

 

帰りに、モスバーガーで大好きなコーヒーシェイクを買って、川を眺めながら飲みました。

いきなり贅沢したかな?と思ったけども、とっても、幸せでした。

 

いろんな価値や基準がこの世にはたくさんあるけれど。もちろん自分の中にもあって、それを大事にしたい。こういう幸せを、僕は感じ取れるぞ。

 

ちょっぴり寂しいけど、まだ大丈夫そうです。

 

 

少しだけ上を向いて、帰るのでした。